常勝ホークスになるまで

先日アビスパ福岡についての記事を書いたところ、レベルファイブスタジアムで快勝してくれましたので、今回はホークスについても書いてみようと思います。

福岡のこの30年のスポーツ史はホークスとの歩みと言っても過言ではないくらい、福岡に馴染んでいます。子どもから大人まで選手の名前を知っていますし、ホークス主催試合は必ずと言っていいほど地上波で放送されています。

そんな福岡に根付いているホークスですが、1989年に福岡にやってきた当初は、福岡では西武ファンの方が多かったと記憶しています。私は子供の頃は北九州で育ちましたが、北九州市民球場で試合がある日は頻繁に連れていってもらっていました。球場の応援はホークスが4.5、西武が5.5くらい?で、若干西武の方が多かったような気がします。

今では考えられないことですが、球場で売られているユニフォームは表がホークス、裏が西武というリバーシブルが存在していました。福岡では西鉄ライオンズ時代からのファンが多く存在していた為、ある意味しょうがない部分でもあったように思います。

ホークスが強くなる転機はいくつかあったと思いますが、選手で言えばホークスから佐々木・村田・橋本、ライオンズからは秋山・内山・渡辺という超大型トレードが実現したことははずせません。秋山という超スター選手を獲得できた代わりに、佐々木・村田という4番とエースを放出したわけです。

今で言えば柳田と千賀をトレードに同時に出す行為ですから、まずありえないですよね。しかし、様々な要因から成立した超大型トレードでした。

のちのチーム作りの基盤とも言える人物を獲得したホークスは、その後は自前で選手を育成していきます。今ではなくなりましたが、逆指名制度もホークスを強くしていった一つの要因だと思われます。いわゆる粒ぞろいの集団となっていきました。

そしてダイエーからソフトバンクへと運営球団が替わり、福岡ソフトバンクホークスとなるわけです。福岡に強く根付いている球団ですから、このあたりまでの話も大多数の方がご存知ではあると思います。

ドラフト逆指名制度が2006年に廃止されると、新しい血の流入は運頼みとなっていきます。勝てる集団となるべく、ホークスは次にシステムを構築します。そう、最近では千賀、甲斐などが目立つようになった“3軍”の存在です。

契約社員のような形で育成枠を多数確保するようになっていきます。3軍は2011年からスタートするわけですが、2010年の育成ドラフトでは6人も獲得しています。その6人の育成ドラフト4位が千賀、5位が牧原、6位が甲斐です。育成元年のスタートメンバーと言えますね。また、その年のドラフト1位が山下斐紹であり、今では楽天に西田とトレードで移籍しています。入団時の状況はもはや関係ないですね。

この千賀や甲斐の活躍もあって、ホークス3軍は注目を浴びます。育成ドラフトというのは、いわばドラフトに漏れた人たちとも言えるのですが、選手達は支配下登録を勝ち取ろうと前向きに捉えて頑張っています。

ドラフトが運頼みなのであれば、主力予備軍の母数を増やすという球団戦略です。これは球団経営の在り方として上手だと思いました。長く根付くものを用意するには、そういったシステムやブランディングが必要です。即効性はなくとも、少しずつ上積みされていき、数年経った頃には大きな差となって現れます。

また、育成ドラフト組が滅多に上がってこなかったとしても、チーム内の競争力が強化されることでのメリットも多そうです。3軍システムはいまや他球団も取り入れ出しています。逆に少数精鋭ということで、支配下登録人数を定員より割る球団もありますが。

かなり中盤を端折ってはいますが、福岡ホークスの歴史を追ってみました。ホークスの凄いところは、あまり熱心に応援していないような人でも、1軍と2軍を行ったり来たりしている選手の名前がわかるところだと思います。ホークスの内容が福岡県民の共通言語となっているわけですね。

ホークス、アビスパとプロスポーツチームが福岡にあるわけですから、今後はもう少し記事にできるといいかなと思っています。なお、レスターは共にスポンサーをさせていただいています。これからも応援しています。

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Author:WEB管理者 

 

WEBサイト制作の現場でWEBディレクター、WEBデザイナー、コピーライターとして主に活動。
現在は不動産投資のノウハウを学ぶべく、日夜勉強中。