振り幅が大きい理由

ここ数日のテレビでは去年の日大アメフト部が取り上げられていた頃のように、連日同じニュースが流れています。

当時のニュースと今回のニュースで大きく違うのは、新事実や新しい出来事がどんどん出てくる為、一つの出来事についてずっと議論しているわけではないということでしょうか。

スマホが一人一つの時代、インターネットが非常に身近です。個人が情報を発信することが容易となった為、一見多様性のある社会になった様にも見えます。

しかし、こういった社会性のある認知度の高い話題がある時、むしろ意見が一元化されてしまっているように感じます。実際にはA派B派C派といった形で様々な意見があるのでしょうけども、そのA派一つとっても意見のボリュームが多く、処理しきれないそれは一元化に見えてしまうということかもしれません。

日本人の感情が動きやすいニュースが「ハラスメント問題」に多い気がしています。

これはおそらく、視聴者の方々にも非常に身近な問題で、実体験に基づいたコンプレックスがあるのでしょう。もちろん私にもあります。それが一つの事象が起こった時に、まるで身近な出来事かのように感じてしまうのだと思います。ハラスメントも現代は多様化して認知されていて、セクハラ、パワハラ、モラハラなど、線引きが細分化されていますね。

今回の例で例えていうならば、

・土曜日の会見でパワハラが発覚→反社との繋がりについてスルーはしないが、関心はパワハラ問題へ。

・日曜の会見で該当していると思われる言動は「冗談だった」と発言→過去にパワハラ被害にあったタレントが過去の出来事を思い起こしてツイッター等で発言。

・少し時間が経つことで、世論は冷静に本質を再度見つめなおす←今このあたりでしょうか。

「怒り」という感情は長続きしないんですよね。突発的にものすごい大きなエネルギーにはなりますけど、時間と共に沈静化していき、再び同量の熱量を出すことはなかなか難しくなるといいますか。

長い目で見れば、その湧き出る感情は上手に抑え、表面化させずに対処した方が生きていく上では「得」なことが多いはずです。

ただ、損得のぞいても言わざるを得ない場合というのは、それはそれでありますよね。振り返ってみても、あれは言わないといけないことだったと思う内容であれば、そこは覚悟を決めた上で言葉にすることも大事です。個人的には「後悔しそうかしそうにないか」が線引きです。この線引きの深度は人によって大きく違いそうですが。

現在は声を上げた別の人が当事者となっているような形で注目されていますが、当初の問題とは別の問題とはわかっていますが、それはそれで注目しています。

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Author:WEB管理者 

 

WEBサイト制作の現場でWEBディレクター、WEBデザイナー、コピーライターとして主に活動。
現在は不動産投資のノウハウを学ぶべく、日夜勉強中。